歴史と沿革SCHOOL HISTORY

東京中華學校 戦後の復興

大戦の終結とともに現在の地:東京都千代田区五番町に学校の復興がなされたが、その歴史的経緯は、残存資料によれば概ね次のとおりである。学校の復興、運営の維持に際しては、華僑先達による多くの寄付浄財と華僑教育に対する熱い情熱がその原動力となったことを銘記すべきである。以下、その歴史的経緯を紹介する。
昭和21(1946)年6月、東京華僑連合会(現:東京華僑総会)が中央区の昭和小学校校舎を借用して組織され、その校舎を利用して『東京中華学校』として復校した。同年9月、東京華僑連合会(会長:陳禮桂)は、同会顧問の曹嘉修等7人を学校董事(董事名簿は別資料を参照)に推薦、曹嘉修を董事長、校長を包象寅に任命、且つ、曹嘉修董事長の下、学校用地取得・建設の為の募金を開始した。

本校現行土地の取得の経緯 本校現行土地は概ね二段階で行われた

五番町14番地1(1306.58坪)部分は昭和23(1948)年1月28日に売主:山口誠太郎(代理人:浅間重蔵)より購入、この土地取得の為の費用は230万円。又、五番町14番地4(156.2坪)部分及び五番町14番地2(501.79坪)部分は昭和23(1948)年10月15日に売主:岡村長徳より購入しているが、この際、学校敷地としての一体性を確保する為、岡村長徳に対して、換地として、四番町8番地8の土地を提供している。これら第2回購入費用の総計金額が201万円余とされる。

尚、残存記録によれば、土地登記完了までに3年半以上の時間を要しており、財団法人の設立を待って昭和26(1951)年11月に土地登記を完了した。以上、五番町14番地の1、3、4、の三筆の合計が現在の学校所有地である。本校残存資料および聞き取り調査資料によれば、学校用地、建築物取得、開校に要した経費は下記のとおりである。土地取得の為の費用として、戦前の豊島区南長崎に有った学校用地の売却資金を充当し、更に不足の資金を華僑各界よりの募金に仰いだ。記録によれば、昭和23(1948)年10月19日の時点に於いて、前学校用地売却費および華僑界より募金された資金総額は4,269,545円で、募金目標達成には、更になお400余万円の募金を必要としたとある。次頁は当時の収支明細記録。(下記参照)

昭和33年(1958)当時の校舎上空写真

募金等の収入

募金等の収入明細

*差引不足額の処置について:
その後、募金活動は継続されたが、目標募金額には達せず、当時の校舎建築費の残債1,925,585円を、理事長鄭勇昌および竹中工務店の小林潔会計部長の立ち会いの下、昭和25(1950)年8月10日付にて駐日中華民国代表部より支給された150万円にて打切精算とし、残余(約42万円)が免除されたとの記録がある。以上、本校の現土地用地の取得および初期開校経費の経緯であるが、戦後初代理事長の曹嘉修をはじめとする僑界多数寄付者の功績が大きかった。尚、この時期の募金応募者名簿は残存していないが、第一届の本校役員に就任された華僑人士の方々が大口寄付功労者であったと推定される。

学校校舎第1回増築

昭和27(1952)年12月より学校校舎増築の為の募金が開始された。この募金は昭和30(1955)年まで継続され、昭和30(1955)年3月迄の期間の寄付者名簿が学校機関誌『鐸聲』第4号(昭和30年3月発行)に掲載されている。華僑各界寄付者総数は約250人、集めた募金総額は約300万円。又、新校舎増築の費用は、当初、総工費820万円を予定していた記録が有るが、実際に最終的に増築費用が幾らになったのかは明確な記録が残存していない。昭和30(1955)年4月から新教室4室の増築工事を開始し、同年12月に竣工した。

学校校舎第2回増築、講堂建設およびプールの増設

昭和32(1957)年5月、教室2階部分および講堂建設が開始、昭和33(1958)年7月に落成。この際、講堂部分は張和祥理事長が、その建設資金を全額寄付したことに因んで、『和祥堂』と命名された。教室部分の増設に際しては、昭和33(1958)年2月、中華民国政府より2000万円が補助された。昭和39(1964)年、プ-ルを増設、李合珠評議員より、その建設資金を寄贈され『合珠池』と命名された。建設費用は700万円。
和祥堂の外観写真
和祥堂
1969年在「合珠池」舉行遊泳大会
1969年在「合珠池」にて行われたの遊泳大会

学校経営安定化の経緯と校舎の全面改築・国際中正会館の建設

前述したとおり、第二次大戦終結後、現在の学校所在地である千代田区五番町の土地の購入、校舎建設、増築などの際には、その都度、その当時の理事長をはじめとする本校役員および華僑各界の寄付浄財をいただき、又、一部、中華民国政府の補助も受けて来た。しかしながら、可能な限り低廉な学費により華僑子弟に教育を授ける旨の思想によって学校運営を行ってきたため、学校財政は日常的に逼迫した状況であった。当時各期の理事長、副理事長をはじめとする理事、監事、評議員などの役員が日常的に経費の補填を行うことにより学校運営がされてきた。この状況の抜本的改善をはかることを目的に、収益事業として学校敷地の一部を利用して商業ビルを建設することとなり、昭和59(1984)年、学校校舎の全面改築と校庭西側に商業ビルとしての国際中正会館が竣工した。その際、本校としての自己資金は皆無であったため、建設に必要な資金は、当時の理監事等の役員から寄付金を仰ぐとともに張和祥理事長が13億5千万円の個人保証を提供することによる金融機関からの借入金によりその全建設資金が調達された。
1984年的国際中正会館の外観写真
1984年的国際中正会館
昭和33年(1958)当時的校舎の上空写真
和33年(1958)当時的校舎
昭和59年(1984)当時的新校舎の上空写真
昭和59年(1984)当時的新校舎

1. 学校創立から第二次大戦終了まで

昭和4年
民國18年
(1929年)
東京府小石川区指ヶ谷町7番地、中華聖公会旧址に開校。
名称「東京華僑学校」、講堂一所のみ。学生数20餘人。
校董・羅翼群等5人。名誉校長・山井格太郎。校長・傅代言
昭和5年
民國19年
(1930年)
2月 成人僑胞補習班を開辧。学生22人。
10月 東京府政府より認可を取得。
昭和6年
民國20年
(1931年)
中華民国(国民政府)教育部に設立認可。
昭和7年
民國21年
(1932年)
東京府神田区神保町10番地・中華留日基督青年会内の3間を借用し移転。生徒10餘人。
918事件の発生による帰国者増加のため、校務が中断。
昭和10年
民國24年
(1935年)
1月 学校校舎設立の為、募金開始。
4月 高級部(小学)第1届卒業生2名。
9月 豊島区長崎南町1丁目1801番地を購入し、校舎建設開始。
12月 校舎落成。運動場、大禮堂のほか、教室・事務所・計13室。
昭和11年
民國25年
(1936年)
2月 教科書がすべて東京府に没収される。
3月 校名を「東京華僑小学校」に改名。
高級部(小学)第1届卒業生4名。
昭和12年
民國26年
(1937年)
7月 中日戦争勃発。教員帰国により学校閉鎖。
昭和20年
民國34年
(1945年)
5月 校舎が爆撃により焼失。
現城東小学校 (舊京橋昭和小學校)
現城東小学校 (舊京橋昭和小學校)

*戦時中、中央区の昭和小学校を借用し「東亜興亜学院」と称して、中国語による授業を行っていたとの情報があるが、どのように行われていたかについての確認はできていない。 又、戦時中、教科書についての日本政府による干渉などは有ったが、中国語教育(当時は支那語あるいは満語などと称された)は禁止されていたわけではなく、戦前、本校が閉鎖を余儀なくされたのは、教員の多くが帰国したことなどにより、運営が困難になったためと推測される。

第二次大戦後の復興

昭和21年
民國35年
(1946年)
6月 東京華僑聯合会の成立後、中央区の昭和小学校校舎を借用し復校、校名を「東京中華学校」に改名。
名誉校長・包象寅、校長・陳文瀾。学生160名・年齢別4クラス。
9月 東京華僑聯合会(会長:陳禮桂)より曹嘉修等7人が学校董に推薦され、曹嘉修氏が董事長、校長に包象寅が就任した。又、昭和小学校からの移転に備え、学校建設のための用地取得を計画し、用地取得の作業と寄付募金を曹嘉修董事長の下に開始した。現行の千代田区五番町の本校用地の取得および学校校舎建設に要した資金は、豊島区南長崎の旧学校用地の売却資金に加え、華僑各界からの浄財寄付並びに中華民国駐日代表處の補助によりなされている。
9月 中国語教育を習熟度別に5クラスとし、正式に「小学部」となる。



現行の千代田区五番町に移転する前の校舎




現行の千代田区五番町に移転する前の校舎


昭和22年
民國36年
(1947年)
6月 中華民国駐日代表處より、中華民国僑務委員会より僑民学校立案証明を受領。
9月 小学部6学年編成となる。
10月 中華民国駐日代表處僑務組に初級中学校の開校を申請。
昭和23年
民國37年
(1948年)
1月 東京都千代田区五番町14番地1の土地を購入。
7月 小学部第一届卒業生27名。
10月 千代田区五番町14番地の校舎落成し、移転。
昭和24年
民國38年
(1949年)
2月 校長に梁次如、包象寅は名誉校長に就任。
11月 包象寅が校長に復職、高維先を副校長に任命。
董事長・鄭勇昌、副董事長・周祥賡。曹嘉修ほか3人は顧問となる。
昭和25年
民國39年
(1950年)
7月 初中部第一届卒業生15名。
小学部第三届卒業生33名。
9月 高維先が校長に就任。
昭和26年
民國40年
(1951年)
6月 日本政府より「財団法人東京中華学校」が認可される。
財団法人申請代表者は周祥賡。
昭和28年
民國42年
(1953年)
4月 日本の学校制度に合わせ、新学年開始月を4月に改訂。
10月 楊名時が校長に就任。
昭和29年
民國43年
(1954年)
4月 新教室4室の増築開始。
12月 新教室4室が竣工。
昭和31年
民國45年
(1956年)
12月 董事会改組、張和祥理事長、薛國樑副理事長就任。
臧廣恩が校長に就任。
昭和32年
民國46年
(1957年)
5月 和祥堂、及び教室二階部分建設開始。10月 和祥堂、及び教室二階部分増築落成。
12月 第二期新築校舎建設開始。
9月 新校舎落成落成式典。
昭和33年
民國47年
(1958年)
7月 第二期新築校舎落成。
9月 新校舎落成落成式典。
昭和34年
民國48年
(1959年)
5月 羅長闓が校長に就任。
12月 董事会を評議員会に改組。張和祥理事長に連任。
昭和39年
民國53年
(1964年)
李合珠寄贈プ-ル「合珠池」完成。
昭和54年
民國68年
(1979年)
6月 李政義が校長に就任。
昭和58年
民國72年
(1983年)
7月 新校舎・体育館建築開始。
昭和59年
民國73年
(1984年)
11月 新校舎・体育館・国際中正会館落成式典。
国際中正會館
落成時的新校舎
昭和60年
民國74年
(1985年)
7月 新校舎屋上プール完成。
昭和62年
民國76年
(1987年)
11月 張建國理事長に就任。
平成2年
民國79年
(1990年)
9月 曲平が校長に就任。
平成8年
民國85年
(1996年)
3月 郭東榮が校長に就任。
平成11年
民國88年
(1999年)
4月 薛國樑が理事長に就任。
平成12年
民國89年
(2000年)
5月 薛國樑死去により、長江啓泰が理事長に就任。
平成13年
民國91年
(2002年)
4月 陳哲燦が校長に就任。
平成16年
民國93年
(2004年)
4月 長江(傅)啟泰が校長に就任。
平成17年
民國94年
(2005年)
4月 蔡月華が校長に就任。
5月 吉田潔史が理事長に就任。
平成19年
民國96年
(2007年)
10月 張建國を設立発起人代表として東京都に学校法人認可申請。
平成20年
民國97年
(2008年)
4月 劉劍城が校長に就任。
「学校法人東京中華學校」に組織改変し、東京都より認可される
平成21年
民國98年
(2009年)
創校80周年紀念。
平成22年
民國99年
(2010年)
5月 当校が正式に日本の文部科学省の定める就学支援金の支給対象校として本校が指定されました。
5月 嵯峨 健民が理事長に就任。
令和元年
民國108年
(2019年)
創立九十周年
令和3年
民國110年
(2021年)
4月 王東生が校長に就任
令和7年
民國114年
(2025年)
創立九十六周年
4月 呉玉珊が校長に就任